【チェンマイからミャンマーへ】2013僕達の3500km2人旅【#2】
※この記事は2013年のタイ・ミャンマー・マレーシア・シンガポールの旅を元に2019年に新たに書き起こしたものです。
初めての海外1人旅を終え、日本に帰国した僕は某公共放送の下請けの映像会社で働いていた。そこで当時の彼女、今の妻と出会い意気投合した2人は仕事を辞めて東南アジアの旅へと飛び出した。シンガポールに友人の多い彼女(今の妻)の希望でゴールをシンガポールに設定し、どうせなら縦断しようとミャンマーのタチレクからシンガポールまでタイ、マレー半島を縦断して、シンガポールに行く事にした。ただ、移動し続ける。そうゆうタイプの旅だ。2013年の2人旅の記憶。
#チェンマイからチェンライへ
チェンマイという響に対して僕はまだ、タイについてそんなに知らない時から親近感を持っていた。そしてチェンライという響にも同様に親近感を持っていた。行った事が無くてもなんとなく言葉の響から、どっかのアジアの国の北の方の街をイメージ出来る、そんな素敵な響だと感じていた。
だから僕はどうしても「チェンマイからチェンライへ」というキーワードを自分の言葉にしたかった。
トゥクトゥクでチェンマイのバスターミナルへ向かった僕らは、チケット売り場でもちろんこう言った。
「チェンマイからチェンライまでのバスチケットを2枚ください」
やっとこの言葉が、実感の伴う僕のものになった気がした。
チェンライは僕の響きからの想像とは違い、だいぶ落ち着いたコンパクトな町だった。チェンマイではまだ日本人のツーリストを見かけることも多かったが、チェンライでは日本人に会うことは無かった。(現地在住風の日本人らしき人は見かけたが)
チェンライの宿探しをしていた僕らはバックパッカーのバイブル「地球の歩き方」に掲載されていたゲストハウスに泊まることにした。地球の歩き方には日本人経営でパンの美味しいアットホームな宿的な紹介がされていたので、この旅唯一の「日本人経営」の宿をちょっと楽しみにしていた。
実際にチェックインしてみると、日本人のオーナーはもう居ないらしく(離婚したらしい?)、僕ら以外に宿泊客も居なそうだった。Wi-Fiを繋いで調べてみると、少し前にその宿で日本人宿泊客が亡くなったらしい事が分かった。(事件や事故では無く病気らしい)。
さっきまで、「日本人経営」って言葉に惹かれていたくせに、今度は「日本人が死亡」って言葉に憂鬱になった。我ながら自分勝手だななんて思いながらも、彼女にはチェックアウトするまで内緒にする事にした。
#チェンライからメーサイへ
チェンライからミャンマーとの国境の町メーサイへ、僕らは地元の路線バスで向かう事にした。窓も全開でのんびり進むこのバスは僕らの今回の旅に似合っていたし、僕ら自身にもとてもフィットしていた。彼女もご機嫌そうだった。
新しくて快適で豪華な物が、必ずしも心を豊かにするとは限らない。少なくとも旅においては、快適に素早く移動出来て豊かになった経験を僕はあまりした事が無い。そんな事を考えながらバスに揺られていた。