【カンボジアの出会い】2012初めてのバックパッカー【#2】
※この記事は2012年のタイ、カンボジア、ラオスの旅を元に2019年に新たに書き起こしたものです。
2011年、渋谷のボロアパートでルームシェアをしながら、フォトグラファーになると言う夢を言い訳にダラダラと過ごしていた僕に3.11は突然やってきた。安易な僕は何かをしなければという衝動に駆られ、翌年には仕事を辞め大型のバックパックを背負いタイに降り立っていた。
#2 数えきれない出会い
早朝に出発したバスに揺られ僕はカンボジアの国境に向かっていた。目指すはアンコールワットの街、シェムリアップだ。
カンボジアの入国審査は空港の威圧的な入国審査とは違い、明るい青年たちで溢れ、とてもアットホームだった。「アジノモト?」入国の際に聞かれた事はこれだけだった。カンボジアでは日本と言えば味の素のイメージが強いらしく、この後幾度となく「アジノモト!」「イエース!」のやり取りを繰り返す羽目になった。
無事に入国審査も終え、カンボジア側のバスに乗り換えると街の雰囲気は大きく変わった。大地は赤茶色の大地になり、都会的な混沌さのタイとは変わり、街は少し寂れて見えた。お金を欲しがる子供も増えてきた。
シェムリアップに到着し、安宿にチェックインして同じ宿に泊まっている日本人数名と仲良くなり、夕食を食べるために街に繰り出す事にした。
カンボジア人はとても人懐っこい。それも大人も子供もみんな。そしてみんな温かい。
ほろ酔いで宿に向かって歩いていると、店先で明らかに泥酔した白人と、陽気な青年が一緒に飲もうよと声をかけてきた。白人の酔っ払いはスロベニア出身だといい、すぐに潰れてどっかに消えてしまう。残った僕らは言葉はそんなに通じないけど、そんな事は大きな問題では無く陽気に酒を飲み明かした。
「最高の朝日を見せてあげるよ!アンコールワットからね!」カンボジアの青年が僕らに言った。突然の提案に断る理由なんてない僕らはバイクに3人乗りで走り出した。
時刻はおそらくAM4時とかその位だったと思う。
「こんな時間にアンコールワットに入る事なんか出来るの?」
「問題ない!見てな!」そう言うと彼は颯爽とアンコールワットの検問を突破して行った。思わず僕らもヒャッホーウと叫ばずにはいられなかった。後ろでは警察官の叫び声が聞こえるが、あっと言う間に遠ざかっていく。
しかし程なくして僕ら3人は警察官に捕まっていた。さっきまでのイケイケの僕らは警察官の青年にお灸をすえられてしまう。カンボジア人の彼は「朝日を見せられなくてごめん」ととても残念がっていた。そして家についたら、彼の母親と姉が待っていて先ほどの警察官なんて足元にも及ばないくらいもっと激しく怒られた。
この他にもここには書ききれないくらいの出会いや交流があった。現地のクラブにも連れて行ってもらったし、現地のギャルとも仲良くなった。なんてエネルギッシュな国なんだろう・・・。
この国には若者しかいない。僕はカンボジアに入ってからずっと抱えていた違和感の正体に気づいた。
他の国とは全く違うどんな国とも違う独特のエネルギーの原因はどこに行っても若者しか居ない事にあった。警察官も青年だし、思い返すと本当に今まで若者にしか出会ってないような気がした。
そう秩序の中心が若者なのだ。
そしてそれにはとても悲しいこの国の過去があった。