【インド】インドについての僕の個人的な話。【2015】
※この記事は2015のインド旅行を元に2019年に新たに書き起こしたものです。


”インドには呼ばれる人と呼ばれない人がいる”
三島由紀夫
僕ら夫婦で言うなら僕は後者で妻は前者である。妻はデリーの空港に降り立った瞬間から目を輝かせていたし、僕はお腹を壊してトイレに駆け込んでいた。


空港からオールドデリーに向かう車の中で、窓から外の景色を眺めているとやたらとインド人と目があってしまう。そして目が合うと、絶対に目を逸らしてくれない。妻はその度にどこかの国のお姫様のように車内から手を振っては、本当に嬉しそうだった。
それはジャイプールでその旅唯一の中級クラスのホテルに泊まった時もそうだった。夕食時、広いレストランではステージ上でインドの音楽を演奏するハンサムと僕らだけである。嫌な予感がする。そのハンサムは当たり前のようにタブラか何かを演奏しながらこっちを見ている。僕はなるべく目を合わすまいとしているのに、妻とそのハンサムは演奏中終始見つめあっていた。
ハンサムはその日唯一の客である僕らの為に心をこめて演奏をし、妻もそれに心から答えているのだ。なんて素敵な光景だろう。僕はそんな平和な空気を邪魔をしないように一心不乱にカレーを食べた。
その日の夜、僕はカレーの夢を見てうなされて深夜に何度もトイレでお尻を痛めていた。そして残り少ないトイレットペーパーを眺めてこの旅で何度目かの「やれやれ」をつぶやいていた。


僕は気付き始めていた。妻はインド人を煽るし、インド人も妻を煽るのである。





僕だってインドが嫌いな訳では無い。だけど、毎日スパイスはちょっと辛いし、ビールが大好きな僕にとってはお酒がちょっと高い。喫煙者が少ないのでちょっと肩身が狭い。むしろそれだけである。それでもどこにカメラを向けても絵になってしまうインドはズルい。



その後、日本に帰国しても妻はインドの魔力から冷めることは無く「ランチに行こうか?」と言えば「インド料理」としか言わなくなり、「旅行に行こうか?」と言えば「インドに行きたい」としか言わなくなってしまった。ヒンディー語教室に通い出し、ヒンディー語で毎晩歌を歌うようになってしまった。そして、その後も僕抜きでインドに行っている。インド人の男性と食事にも行っているようだ。
休日にはマイナーなインドフェスを見つけては僕を誘ってくる。


僕はインドに行く前は、インドにはまる人は中央線沿いに住んでいて、長髪でマリファナとジョンレノンを愛しているような人だと思っていた。
そして、どちらかと言うと妻より僕のようなタイプだと思っていた。
しかし、現実にはインドが僕の妻を変えてしまった。インドの奥深さを感じられずにはいられない。だからきっと僕らはまたインドに向かうだろう。